知性と成功
知性とは主観的なもので、自分の〝凄さ〟を表現することは大変に難しく、ややもすると自慢話しとして誤解されるかもしれません。しかし、それを容易にアピールできる方法が「学歴(大学名)」です。地頭がいい人は別として、高学歴の方の多くは、遊びたい青春時代を犠牲にし手に入れた学位ですから、自慢せずとも大学名を高らかに発する気持ちはよくわかります。しかし、それらの〝凄さ〟を社会や自身のために活かしている人はどれくらいいるのでしょうか?日本で名だたる大学を卒業しても、歯車にしか成り得ない組織に入社することを希望し、スペックに合わない軽作業で思考力を退化させ、マイホームを建て、その人生を終えます。ある意味、企業に従順で不感症な社会人を育成するために、脇見もせずに猛勉強させているとすれば、日本のビジネスマンとして生き抜くための基本スキル(躾)は、学歴なのかもしれません。
人生の方向性を決めるのは、その人の性格や経験に基づいたコミュニケーションの積み重ねであり、決して成績ではありません。学業の成果だけでは知性を測りきれないのが現実です。学生時代までの成功は、ある特定のシステム内では通用しますが、社会に出るための準備には程遠く、知性と身体の成長が著しい多感な時期を猛勉強に費やしたことは、自分の可能性や視野を狭める要因となっています。また、これらの社会人を多く見てきた中で共通して感じることが「失敗を極度に嫌う」と「挨拶もできず社会性がない」ことです。おそらく、子どものころから周囲よりも勉強ができ、親の期待にも応えてきたのですから「失敗は厳禁」です。また、多感な時期に勉強以外の経験をしていないので、社会性も育成されていません。これらの社会人は、自分の思考から逸脱した行為がけっしてできません。当然、失敗は悪ですから挑戦することもにも後ろ向きです。結果、その階層がミルフィーユ状にもろく折重なり、馴れ合いを良しとする甘ったるいデザート(企業)を形成していると感じます。
成功に必要なのは情熱、忍耐、感情の豊かさ、そして失敗の価値を理解できる力です。長い期間をかけて日本が作った「学歴社会」は、世界はおろか国内でも通用しない働き手を多く育成していたのです。『海外で成功するには、東大の学歴よりも英語をしゃべれる方がよい』と言う人もいるくらいです。今までの話は、けっして高学歴を否定するものではありませんが、結果として今の日本が抱えている様々な問題の一側面を形成しているのは明らかです。
学生時代に勉強嫌いでビジネスに成功した人の話しをよく聞きます。その人たちの共通点は、「勉強にも勝る成功や失敗体験を持っている」「当たり前を疑う力が身についている」ことです。学校や先生からの強制的なカリキュラムに対して不満を抱き、「なぜ、やらなきゃいけないのか?」と考えているのです。そのようなタイプは、単純に勉強が嫌いなのではなく、自分の理想像を抱き、それに向かい主体性を持って学ぶ姿勢を培っているだけです。
本当の知性とは、多種多様な体験から並行軸で学習し、そこで得られた経験を複合的に組み合わせ、次の一歩を自分自身で踏み出せる能力です。主体性のある人には夢があります。夢がある人は、継続してチャレンジする精神力があります。また、継続することは、いつか成功に結びつく場面をつくる能力を身につけることです。
夢に老いは関係ありません。夢さえ抱ければ、学びは今すぐにでもはじめられます。また、学びたいと思ったときこそが、一番吸収が早いものです。だって、自分の〝凄さ〟は自分が一番よく知っているのですから。
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